
『バウハウスの研究』
- 社会的ダイナミズムとしての芸術教育 -
(博士論文概要)
バウハウスは、1919年、ドイツのヴァイマールに創立した造形芸術学校(ゲシュタルトゥングのための大学)である。
創立宣言を掲げた初代学長は、建築家ヴァルター・グロピウスであるが、その後、ハンネス・マイヤー、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローヘへと継承される。この学長の交代とは一致しない時期において、バウハウスの所在地はヴァイマールからデッサウ、そしてベルリンへと変遷している。このような運動体としてのバウハウスは、1933年に閉鎖するまで多様な様相を示しているが、視点をバウハウスの内部に移してみると、そこにはより一層、複雑な状況が浮かび上がってくる。
何よりもまず、バウハウスは様々な人々(思想)の交通の場であった。この意味で「バウハウス」は錯綜体であり、眠れる多様な可能性の内から抜け出た一瞬の覚醒だったのである。

1)本研究の意義と内容
バウハウス研究の現代性(アクチュアリティー)を考慮し、本研究においては歴史としてのバウハウスのなした多様な業績の中でも、特に「教育」に焦点を合わせて考察を行った。
本研究は単に「バウハウス教育」の理論・実践研究としての詳細な記述にとどまるものではなく、逆に、芸術教育の立場から「バウハウスの全体」を捉えようとするものである。すなわち、バウハウスの再考であり、新たな解釈の試みである。
もちろん、バウハウス運動が近代デザインの発展の土台を築いたことは決して否定できない。そこでは、近代理性に根づくバウハウスの言説(テクスト)が、実際的な(一般的な認識としての)「バウハウス様式」にみられる生産品の成果とともに、今日に至るまで賛否両論を含みながらも方法論・様式論として継承されてきた。この文脈から、バウハウスのめざした「芸術と技術 - 新しい統一」は、電子メディア時代といわれる今日のコンピュータ・グラフィックスにまで芸術家を理念的に導いてきたともいえる。
さらに、文化的なパラダイムの中心が「ポストモダン」に関わり、「モダン」が見直されるようになると同時に、バウハウスの新たな解釈が必要となっている。このような地平においてバウハウスを扱うとすれば、それは「近代の解体(脱構築)」として、近代の壮大なプロジェクにおいて結局は単線的プロセスに捨象され、隠蔽されてしまったものを再び浮上させることが課題となり、このことが本研究の目的ともなっている。
これを端的に言うと「バウハウス=近代」の脱構築であるが、ここでは一般的な「モダン/ポストモダン」の問題が未解決のうちに、明確な断層の不整合面を強調することはなされていない。つまり、現代を恣意的にポストモダンと位置づけ、その境界の外にあるバウハウスはもう無効であると主張することは避けられた。すでに「歴史」として認識されるバウハウスにおける思想と、現代思想との「地平融合」をいかに貫徹させるかが、重要な課題の一つなのである。
しかしながら、近代的合理化を基盤としている限りにおいて「バウハウス神話」は結果的に崩壊する。バウハウス神話の根幹には、本来のバウハウスにおける対立や矛盾を含んだ多様性の無視と、機能主義・合理主義的な方法論への妄信があるといえる。
そのような一面的な解釈によるバウハウス神話を内部から解体する作業によって、ユートピア的・表現主義的な傾向の強いとされるヴァイマール期のバウハウスにおいて、多大な影響力を有したヨハネス・イッテンの芸術観・教育観に再び重心を移すことになった。イッテンの神秘主義思想から焦点化される「個人」の啓発は、宗教問題が浮上している今日においても示唆的であり、その理念的な「精神と身体の統合」は、心身二元論を超えて「知」の見直しを迫っている。また、西洋文明に対する批判を前提とする彼に特徴的な「西洋と東洋の融合」に関しても、今日的な問題としてアクチュアリティーをもつものであった。
また、そのようなイッテンの教育実践においても扱われ、バウハウス全体における芸術的理念としても重要な意味をもつと想定される「ゲシュタルトゥング(Gestaltung)」(造形)という概念を再照射し、バウハウス運動における位置づけとその造形活動としての原初的な意味を再確認した。ここに、理知的・構築的な「建築」に代わる芸術の統合として、また、生成的なダイナミズムとしての理念を読み取っている。この意味においてバウハウス教育は、基本的には「ゲシュタルトゥングによる教育」であった。
さらに、学校というシステム(制度)により運動を展開したバウハウスは、バウハウス教育としての理念や方法論とともに、文化・社会レヴェルでの機能や役割を考察することを可能としている。文化的な価値の再生産としての一般的学校は、必然的に社会の文化変容に遅れることになるが、「バウハウス=学校」の視線はユートピア的未来へと向けられており、当時の文化・社会の先端で情報を発信する拠点となっていたことは、学校として比類のないものであった。
本研究で焦点化したような芸術・教育・社会に関わり、バウハウスが文化形成の役割を演じたという事実は重要である。このような社会的な要因に関わることによって、本研究はバウハウス研究だけではなく、将来的な芸術教育の実践および理論的研究に一種の問題提起を行うこととなった。
2)本研究の構造と展開
ここで、簡単に本論文の構造とともに流れを追うと、以下の通りである。
本論文は、三部形式となっており、それぞれ第一部「バウハウスの脱神話化」、第二部「バウハウス教育の様相」、第三部「社会的ダイナミズムとしての芸術教育」という問題設定により焦点化されている。
まず第一部において、バウハウスの歴史的変容・変成を俯瞰し、その多様性の中から恣意的に取り上げられ、一義的に「神話化」されたものを再び明確にし、その神話に基づいた認識の今日的「行き詰まり」を、バウハウス自体の中で解決しようとする「脱神話化」を試みる。これはバウハウス批判というよりも、正確には「バウハウス神話」批判であり、解体後の新たな展開へのポテンシャルを探るものである。これが「バウハウスの脱神話化」であり、バウハウスの運動、および歴史としてのダイナミズムと、その影響・受容を考察した後、運動論と調和論のダイナミズムについても触れる。
ここでは、第一章「バウハウスの理念」<生成と構築のダイナミズム>、第二章「バウハウスの受容」<神話化と脱神話化>、第三章「バウハウスの実験」<運動から調和へ>という構造によって展開されている。
第二部は、バウハウス教育の総合的な様相を再確認する目的で考察した。個性的なバウハウス教師に由来する多様な教育理念・方法論は、まさにバウハウスの統合論に潜む多様性である。ここではその様々なベクトルの方向性を照射するとともに、理念としての「統合論」を再考している。ここでは、「芸術と技術の統合」という理念や、「建築によるあらゆる芸術の統合」から生成的・包括的な「ゲシュタルトゥング」へという理念的転換を試みることになった「芸術的理念としての統合論」、ユートピア的な共同体の形成を照射した「社会的理念としての統合論」、そして、シュレンマーにおける「人間と空間(環境)の統合」やイッテンにおける「精神と身体の統合」などにみられる「人間的理念としての統合論」、さらにそれらの「教育理念への転換」による差異について示した。また、バウハウス教育の根底にある「全人教育」についてはドイツ改革教育運動の流れとともに位置づけを試みた。バウハウス運動の根幹にある「生の全体性」に基づく思想や、これまであまり日本では知られていなかったミューズ教育との関わりについても触れた。さらに、バウハウスにおける祝祭が、「教師/学生」の上下関係を融解し、ゲマインシャフト的な状況を生み出していたことについても指摘した。これらは、バウハウス教育を包括的に捉えようとするものであり、さらに、そこからバウハウスに内在して関連し合いながらも異なる位相をもつ種々の理念をコスモロジーのごとく浮き上がらせようとするものであった。
これについては、第一章「バウハウス教育の構造」<統合論に潜む多様性>と、第二章「バウハウス教育の源流」<生への憧憬と回帰>によって示している。
最後に第三部では、これまでの芸術教育の視座からのバウハウス研究において不可欠であった「社会」という焦点について、これが芸術教育そのものの研究においても重要であるという認識から、芸術教育研究の方法としても取り込むことを示唆した。ここでは内容的にイッテンの教育論に希薄であった部分を補足するかたちになっている。芸術教育は、「創造性」、「個性」、「子ども」、あるいは「芸術」それ自体の神話に支えられ、これまでの価値内容としては「個人主義」が横行してきたが、エコロジー的な視点に立てば、自然の摂理から切り離された「人間中心主義」自体も批判の対象となりえる。このような一方的な個人主義は見直す必要があり、ここでは「個人/社会」の問題を浮上させた。
さらに、社会的運動としてのバウハウスを捉え直し、バウハウス以前のイギリスのラスキン、モリスに始まるアーツ・アンド・クラフツ運動、ドイツ工作連盟の流れ、当時のバウハウスからの情報発信のためのメディアとなったバウハウス叢書と機関紙『バウハウス』における統合論、さらに、現代的・未来的な視座から、コンピュータ、マルチ・メディアとの関わりにおいて再浮上するバウハウスの理念についても触れた。また、ここで得られる「芸術教育の社会学」という研究上の方法論は、芸術教育研究の枠組みを新たに捉え直すものである。
補足すると、社会的ダイナミズムを考慮したここでの「芸術教育の社会学」は、学説や体系化をめざすのではなく、研究方法論への寄与としての試みである。社会学の領域における成果を援用することにより、芸術教育の社会的な位置づけも可能となる。芸術と社会との関わり、教育と社会との関わり、これらが相互に絡み合うことで、われわれは新たなリアリティー(事実)を眼前にすることになる。
ここでは、まず第一章「芸術教育の社会学へ向けて」<バウハウス研究の敷衍>によって枠づけられ、その後に内容的な展開として、第二章「バウハウス創立への軌跡」<芸術と技術の葛藤>、第三章「バウハウス運動のメディア」<知の運動としての統合と情報発信>、第四章「バウハウスの未来」<電子化するバウハウス>がまとめられた。
結部の「バウハウス - 芸術・教育・社会」<交錯する過去と未来>において再確認したように、本論文「バウハウスの研究 - 社会的ダイナミズムとしての芸術教育」では、バウハウスを芸術教育研究の中で扱い、バウハウス教育を全般的に浮上させるとともに、バウハウスの再考が行われた。また、そこから逆に芸術教育研究に「社会的ダイナミズム」を方法論として取り入れることを示唆することにもなった。このような相互補足によって、バウハウス研究と芸術教育研究とが円環的に充実していくことを、本研究では追求しており、また、その将来的な発展を希求するものでもある。
筑波大学大学院 博士課程 芸術学研究科、1996年
*1994/95年、ベルリン自由大学の博士課程(社会学)にDAAD奨学生として在籍