BAUHAUS COSMOLOGY

by KENTA

 

バウハウスの実験

- バウハウスにおける「運動」とは何であったか -

 

 

 バウハウスは、1994年に創立75周年を迎えました。これを記念する展覧会などの行事がドイツ、そして日本でも行われました。そうして、バウハウスの再浮上、再検証が胎動してきたように思います。これまでのバウハウス研究ではすでに数多くのキーワードが使用されてきました。「表現主義」、「ロマン主義」、「機能主義」、「合理主義」、「芸術と技術の統合」、「バウハウス様式」などがそうです。しかし、これらはそれぞれが正しいとしても、バウハウスの「ある一面」を示すもので、どれ一つとしてバウハウスの様相を的確に、包括的に指し示すことはできません。ここにバウハウスの多様性の全体を捉えることの難しさがあるのです。

 1919年にバウハウスがヴァイマールに創立、試行錯誤した後、デッサウに移転、そこで隆盛期を迎え、1933年にはベルリンにおいて終焉。この14年という短命のバウハウスがもちえた多大な影響力はどこからくるのでしょうか。学校としてのバウハウスが変容しつつも、その理念を維持しようとしていたことは、枠組みとしての制度よりも理念が優先していたことを示すものですが、ここに有機的な運動体をみることができ、これをバウハウスの「ダイナミズム」として捉えることができます。また、その動的なバウハウスに内在する多様なベクトルの存在、すなわちバウハウスの教師らの思想や実践もこのダイナミズムを結果的に援護しているといえるでしょう。この動的なバウハウスの認識は、さらに根底に脈々と流れる「ゲシュタルトゥング」という芸術的理念、その動的・統合的概念にわれわれを導くことになります。ここには「存在から生成へ」という傾向がみられます。

 これは「静」から「動」へという転換であるともいえますが、この「動」に続く「動」、その拡大再生産によってひたすらカオス化すること、すべての伝統、制度、支配構造、因襲、習慣をくまなく破壊してしまうこと、このようなことを果してバウハウスが目指したのでしょうか。バウハウスでの実験的な活動の最終地点はどこにあったのでしょうか。これから、バウハウスの「運動論」を中核としてこの問題を考察することにします。

 

バウハウスの内的運動・外的運動について

 私たちがバウハウスの活動を考察するとき、そこには大別して二つの異なる方向性を見いだすことができます。それが、バウハウスから社会へと向かう活動、そして建築や道具などを通しての「デュナーミク(Dynamik, 動的な力) 」、これらは「バウハウスから社会へ」という方向です。また、別の方向としては、学生を育成する授業としてバウハウスの活動があります。このようなバウハウスの社会へと向かう活動のデュナーミク、あるいはバウハウス内で学生へと向かうデュナーミクの二つの異なった様相があるわけです。つまり、総体的社会、国家、国々などへのいわば「外的デュナーミク(aussere Dynamik)」といえるものと、バウハウス内の教育、内へと向かうデュナーミク、すなわち「内的デュナーミク(innterne Dynamik)」といえるものがあるといえるでしょう。

 バウハウスでの二つの方向性、すなわち、内的運動と外的運動は、バウハウスのダイナミズムを形成するものであり、前者は内在していたバウハウス教育での「動的なもの」を示しており、バウハウス教師らの教育理念や教育実践と関わるものです。また、後者は、バウハウスの社会への運動あるいは影響を示しており、これはバウハウスの建築や家具等の生産品、その背後の思想と関わるものです。これらの相違点は、言い換えれば、バウハウスと人間との関係、バウハウスと社会との関係のどちらに焦点を合わせるのかということでしょう。厳密に言うと、「バウハウス教育」そのものは、このどちらにも属するものです。社会的なシステムとしての教育という営みが、個人としての人間の伸長とともに、社会の構成員として、社会に貢献する一員としての人間を生みだそうとするように、バウハウスの教育も決してこれに反するものではありません。教育理念において、その目標としての「個人−社会」はつねに表裏一体となってるといってよいでしょう。これから、教育の二面性を踏まえた上で、バウハウスにおける二つの運動について明確にしていきたいと思います。

 内的運動として捉えられるものは、特にバウハウスの予備課程・基礎課程での教育であり、これはバウハウスに予備課程をもたらしたヨハネス・イッテンを始めとして、ヨーゼフ・アルベルス、ラースロー・モホリ=ナジ、パウル・クレー、ヴァシリー・カンディンスキー、オスカー・シュレンマーらに、その範例を見いだすことができます。これは人間そのものと関わるものであり、その感覚統合や精神的深化であったり、その統合的存在であったり、あるいはその絵画的イメージであったりします。

 外的運動として捉えられるものは、特にバウハウスの工房教育や建築教育の結果として生じたモノであり、これはバウハウスの創立者であるヴァルター・グロピウスを始めとして、ハンネス・マイヤー、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ、マルセル・ブロイアーらに、その範例が見いだされます。これは社会と関わるものであり、バウハウスが人間の生活世界へともたらしたモノ、すなわち建造物や家具等や、その背景にある社会的理念です。

 さらに、ここで注意しておかなければならないことは、ここで使用している「運動」や「ダイナミズム」は、プロパガンダ的な意味での「政治運動」を直接的に意味するものではないということです。加えて、その「運動」や「ダイナミズム」は、可視的な「物理運動」を示してはいません。したがって、イタリアの未来派におけるような、機械賛美やスピード礼賛の意味での「運動」とも異なっているのです。また、特に「外的運動」に関して、バウハウス教育の研究者であるライナー・K・ヴィックは、バウハウス創立75周年の記念展覧会のカタログで、ここで規定した概念とは異なる使用をしています。それは、イッテンの芸術家としての態度についてですが、以下のように述べています。

 「外的運動の表現、大都市のデュナーミクや近代的推進手段のスピードのようなものが、まず第一に未来派的態度で芸術家〔としてのイッテン〕に問題となったというのではなく、 - ついでに言うと、クレーのバウハウスへの招聘がイッテンの働きによって実現した例も同様 - 彼にとって中心となる生とゲシュタルトゥングの原理の造形的顕現が問題となったのである。1921年、イッテンは次のように記している。『生あるもののすべてが、運動を手段として人間に顕示されている。生あるもののすべては、形態において顕示される。したがって、すべての形態は運動であり、すべての運動は形態において明らかとなるのである。(中略)ということは、運動性は形態性と同様なのである。これこそわれわれの全体的探究の基本定理なのである。』」

 ここですでに、イッテンにおける運動の問題に触れることになりました。これから、簡潔に彼の教育思想及び方法論と関連して、この問題を位置づけたいと思います。

 

ヨハネス・イッテンの造形教育における運動

 バウハウスにおける内的運動の典型的な範例となるのは、ヨハネス・イッテンによる「予備課程」の教育です。イッテンの授業の詳細については、後に触れたいと思いますのでここでは述べませんが、その概略については確認しておきたいと思います。

 イッテンの予備課程で最も特徴的であったことは、「体操的な練習」によって始まるということでした。この活動にはイッテンによる造形教育の中核があり、これを行うことによって「身体の調和」が求められました。これには「深呼吸体操」も含まれており、そこから始まって「リズム的形態練習」や「自由リズム練習」につながっていきました。これは、ある種の「マッサージ的な効果」によって、精神と身体を円滑に連動させようとするものであり、それによって「個人のリズム」を発見し、絵画的に表現するよう導こうとするものでした。

 これは「創造的オートマティズム」と言い表すこともできます。さらに、即興的・構成的な練習や様々なマテリアルを使用した平面・立体構成が行われます。ここでは、「対照(コントラスト)理論」が用いられており、様々な場面において「運動」とともに登場しました。特に「明−暗対照」は、表現や絵画分析の方法、基本練習として用いられています。また、正方形、三角形、円などを用いた「形態練習」でも、形態の性格が身体運動とともに扱われました。これは、「立体造形」での立方体、ピラミッド型、円柱、球によるコンポジションへと発展することになります。「マテリアル・テクスチャー練習」では、視覚的のみならず触覚的な観点からも様々な可能性が試されました。さらに、感覚的な認識能力や具体的な思考を考慮し、植物、人間、動物を対象としての「自然研究」も行われています。リズムや明暗の問題とともに、「裸体画」においては、「動くモデル」のリズム的表現を高めるため、音楽を使用することもありました。さらに、芸術作品のあり方への直接的・感情的な導入としての「昔の巨匠の分析」では「表現的」に巨匠の作品を理解することがなされたのです。

 確かに、イッテンの造形教育では、精神的・身体的に、そしてこれらが連動することを前提としての「運動」が一つの主要概念となっています。それでは、イッテンのこのような教育思想はどこに由来するのでしょうか。そこにはまず、彼の西洋文明の限界への危惧に発した東洋思想や神秘主義思想への傾倒や、当時の教育改革運動における思想への賛同があります。この件に関しては、ヴィックもバウハウス創立75周年記念展覧会のカタログで「特に老子の道教哲学と、(個人の自己発見と自律、直観的な過程の信用に基づく)同時代のあらゆる教育思想との間に、イッテンは数多くの類似性を見いだした」としています。

 イッテンの教育にみられる運動は、「ホメオスターゼ(=ホメオスタシス、自律的平衡作用)」を目指したものともいえます。ここから学生は「調和」を学んだのである。このことは「動」から「静」へという変換としても捉えられます。ここで注意しておきたいのは、この「静」は、「泉への回帰」として現れるものであって、決して固定的な、すなわち構築性のある静的状態を示しているのではありません。それはカオス的な状況に同時的に存在する「調和」的なコスモスの体現、このような「カオスモス」(丸山圭三郎)の体験なのです。「静」から「動」へ、そして「動」から「静」へ、という往復運動は、ここに円的に結びつくことになるのです。

 イッテンの背後にある宗教的思想は、ドイツにおいてO・Z・A・ハーニッシュ(Ottoman Zar-August Hanish) により先導された「マスダスナン (Mazdaznan) 」というものです。これに基づく実践がバウハウスにおけるイッテンの教育を構成しているといえるでしょう。ここではこの思想について詳しい解説はしませんが、記念展覧会カタログでのルドガー・ブーシュの言葉を引用してみましょう。

 「マスダスナンは、宗教でも哲学でもなく、すべてを包括すのものとして、また、すべての有名な教義の上位にある世界観であろうとする。これは、自己解決という中心思想や、思弁的・形而上学的かつ精神的な世界認識において、古代ペルシアやエジプトの宗教神話、ユダヤ教・キリスト教の神秘主義を融合的にまとめたものである。精神・身体文化の実践領域においては、なによりもまず、禅仏教の面影がみられる。純粋な哲学的思想関連は、結局、ギリシア・ローマ時代のソクラテス哲学や新プラトン主義にまでさかのぼることとなる。」

 このような思想に通じることによって、イッテンは、精神と身体の統合、創造的能力の解放、さらに人間としての調和的なあり方を教育の場において求めたといえるでしょう。また、ヴュンシェは、イッテンの教育について以下のように述べています。

 「イッテンの授業は舞台的な華々しさを醸しだした。時折、他の者が彼を珍奇なものとして説明していることは驚くに値しない。確かに、身体にこのような積極的役割を担わせるような授業は、バウハウスにおいても他にはなかった。しかし、身体、あるいは学生がここで学んだことは、内的な衝動を発揮し、放蕩の限りを尽くすことであると考えてはならない。この内的なものの秩序と、その線による形態、空間、リズムへの関係づけが問題であったのである。イッテンにおける綱領的な言葉は、以下の通りである。『すべての精神の動きに完全に従うことを身体にマスターさせる。手は、屈伸自在でリラックスしており、堅固でありつつ柔軟であり、迅速でありつつ注意深く、よい造作でありつつ力強くなければならない。腕、そしてもちろん体全体は、すべての筋肉・腱が意志に臣従するよう訓練されねばならない・・・。』」

 つまり、バウハウスにおけるイッテンの教育においては「放任主義」に陥らない、精神と身体の調和、そしてそれらの「統合」ということが教育目標としてあったということです。

 

絵画における運動

 ここでは、バウハウスの内的運動の他の側面について、補足的に触れることにします。

 バウハウスにおけるデュナーミクについては、他にもクレーにおける「矢印」の哲学があります。クレーの『教育スケッチブック』でも、矢印は絵画における重要なデュナーミクの象徴として現れています。さらに、カンディンスキーの「シュパヌング」も同様に動的なものを示しています。このように、バウハウスにおけるデュナーミクの概念を解釈しようするならば、それはイッテンだけに限定されるのではなく、絵画におけるデュナーミク、あるいは、家具におけるデュナーミクについても触れることになります。

 つまり、バウハウスにおける内的運動には、イッテンにおける内容とは多少異なる意味での運動があるのです。それがクレー、カンディンスキー、モホイ=ナジらによる絵画や基礎教育での動的なものであり、ここでは、人間そのものよりも、その芸術活動における世界認識や法則の発見といったものへの傾向があります。また、それが説明的・指示的に「矢印」や構造的形態となって図上に現れてくることについては、内的な動的認識の具体化あるいは外在化ともいえるでしょう。バウハウスという大きな枠組みではなく、個人的な芸術活動の問題として捉えるならば、この行為は「外向きの運動」であるといえるかもしれません。しかし、ここでは便宜的に、バウハウスに「内在する教育」として、学生に対して行われた営みを内的運動として想定しています。ここでの絵画上の運動は、内的運動の一部として捉えておくことにします。

 

バウハウスにおける外的運動

 バウハウスから社会へという(外的運動の)方向性は、バウハウスから生みだされた「モノ」の社会的受容や普及として現れています。しかし、ここでもバウハウス教育を無視することはできません。なぜなら、バウハウスにおける生産品・建築は「工房教育」・「建築教育」の結果としてあることや、バウハウス教育の方法論が「知的生産品」として社会に供給されたことも考慮しなければならないからです。また、ここでもやはり「人間」との関わりは重要となっています。それは、バウハウスにおいて生産されたモノのほとんどは、「人間」によって使用されるものであり、そのモノと人間の間においても、ある種の(これは「機能」と換言することもできますが)「調和」が目的とされるからです。このような使用者とモノとの関係は、バウハウスにおいて特に重要視されたものといえるでしょう。これは人間の社会、あるいは生活にもたらされるモノとして、また、デザインの行為において必要不可欠な要素です。ヴュンシェは、「バウハウスによる表象は、人間が安楽椅子に、台所に、窓の前に、部屋において、それらを使用することによって美的現象となるのと同様に倫理的現象となるのをみる。つまり、人間による使用が、安楽椅子、台所、窓、部屋のイマジネーションを完成させるのである」としており、人間不在によってはバウハウスの理念も無意味となることを示唆しています。

 ではバウハウスは何を生みだしたか。「機能主義」や「国際様式」、さらに「バウハウス様式」。果して、このような認識は正しいのでしょうか。バウハウスにおいては、特に1923年、バウハウス展覧会での「芸術と技術 - 新しい統一」がスローガンとなって以来、確かにバウハウスと工業・産業との関係は強調され、「規格化」、「標準化」、「合理化」が試みられました。しかし、そこには常に「人間」が存在していたのです。問題は、バウハウスにおける「実験的な試み」の結果としてあるものを、つまり、それ自体が最終目的として存在しているのではないものを、妄信的に受け入れてしまうことです。バウハウスにおける統合の理念も様々ですが、社会を均質化することにその真意があったとは思えません。「バウハウス様式」は、最も安易なバウハウスの受容だといえます。これは、建築やデザインにおいてだけではなく、教育においても、つまり芸術・造形教育の方法としても、同様のことです。この安易な受容が、これまで「バウハウス神話」を築き上げてきたといえるのです。ここで、バウハウスはもう一度再考され、その包括的な認識と批判的な態度も含めた正しい受容がなされなければなりません。これがバウハウスの「脱神話化」への道です。バウハウスの理解は容易ではありません。ヴュンシェはそのようなバウハウスの認識において、隠喩的に「フリーメーソンの集会所(ロッジ)」という表現を使用しています。そしてその宗教的な場としてのバウハウスを次のように捉えています。

 「思想世界のアマルガムにおけるほとんどすべては、建築、ゲシュタルトゥング、あるいは人間にそれが該当するかどうかの教義を発展させ、時折、部外者には不条理に聞こえる言葉によって自らの思想を伝えたのである。『不条理から幻想を越えて具体へ』たどり着く仕事を行ったマイスターは、彼ら自身、『先取りの天才』であるが、『暗黒部』によく精通しているように思われた。確かに、彼らに対しては多くの場合、極端な合理主義に批判の声が上がったが、稀で、しかも重要なのは『彼らの行動の宗教的、あるいはほとんど宗教的な要請が定義されなかった、少なくとも明確には定義されなかった』という批判であった。また、『バウハウスは、そこに非合理的で陰鬱な部分があったため、興味深く、意味深いものであった』ということを保証することも確かに必要だろう。これは『あらゆる場合において、最も実り多いものでも』ありえたのである。」

 バウハウスを合理と非合理によって分割することが、そもそもその運動体としての成果を矮小化してしまうのですが、「バウハウス=合理性」という図式はバウハウスの神話化によってなされた明らかな誤謬です。

 

バウハウスの実験「運動から調和へ」

 バウハウスにおける「運動」はすべて「調和」へと導くものです。

 デュナーミクと平静の問題を考察すると、常にデュナーミクは最終的にはそこに平静をもたらすように導かれたことが確認できます。イッテンにおいて、例えば人が円を描くことは、精神的な「円」を同時に想起しているのであって、それは決して「ジグザグ」ではありません。そうして、人は再度、「泉への回帰」としての「全体性」に包み込まれるのであり、調和的な平静にたどり着くともいえます。あるいは、人が椅子に座っているときには、その行為によって、人と椅子との間のデュナーミク、シュパヌング、それらによって椅子がここで平静(均衡)を保っていることになります。さらに、カンディンスキーにおいてデュナーミクとは、絵画の法則性におけるものであり、絵画の要素・形態と関わるものです。様々な色の間にはデュナーミクがあり、最終的にはこれらが相互作用を行うことによって、そのデュナーミクは平静、すなわち調和をつくりあげるのです。この場合、もし、あるデュナーミクが他のものよりも大きいとすれば、その絵画の重点は、誤った場所にあるということにもなりかねません。カンディンスキーにおいては、絵画の要素におけるデュナーミクの均衡が重要となるのです。

 バウハウスにおけるデュナーミクは、それ自体が目的となるような性格のものではなく、デュナーミクはすべてを破壊すると同時に秩序化するものであり、それによって調和をもたらすものなのです。これは、イッテンの哲学、あるいは、バウハウスの哲学ともいえるでしょう。つまり、彼において、呼吸はデュナーミクであり、この目的は人が平静〔集中力、健康〕を保つことです。また、道具(モノ)や建築におけるデュナーミクについては、人に適しているものが求められるのであり、例えば、台所におけるデュナーミク、すなわち料理等の活動は、人間工学的に計算される必要があります。(また、これは精神的・身体的な総合として見いだされるべきでしょう。)しかし、この目的は、調和的な人格を保つことにあるともいえます。

 したがって、デュナーミク、そしてさらなるデュナーミク、という突進的な運動論はバウハウスで考えられていたことではないことが確認できます。バウハウスにおけるデュナーミクの目的は、平静、すなわち、秩序化された社会、あるいは調和的社会なのです。

 これは、「建築への意志」と「泉への回帰」の円環運動として捉えられないわけではありません。この円的な運動は、実際的な運動ではないので具体的なものに範例を求めることは困難を極めるのですが、多少強引に例を挙げるとすれば、それはコマの運動のようなものです。勢いよく回っているコマは、回転しているがゆえに動的であり、かつ静止しているかのようにもみえます。しかし、その軸は少しずつズレていき、浮遊しているかのようにも感じられます。その状態は、まさしく様々な力の「調和」として成り立っています。これを「秩序」と呼んでもよいかもしれません。そうして時間の経過により、速度は弱まり、そのバランスが崩れ、倒れ、転がり、そして最終的には「死」と同様の意味での本当の静止となるのです。それは、もう一度、大きな運動を求めるしかなくなります。

 それでは、バウハウスがもたらすという「秩序」はどのようなものなのでしょうか。ここに一つの解釈の分岐点があります。つまり、それは有機体的な社会のカオスを矯正的に均質化するものなのか、それともその多様性を許容しつつ、ある種の調和的状況をもたすものなのか、ということです。これは「モデルネ」(近代)の問題、バウハウス神話の問題と絡めながら考察する必要があります。また、その教育システムや人間への影響も同時にみていくことも不可欠です。ここでは、ある運動体の目指すものが、その「運動」自体ではなく、その結果として生じるであろう「調和」であったことをバウハウスにおいて例証しました。これは、歴史としてのバウハウスを反射鏡として現在・未来を垣間見る試みの一つでもありましたが、そのための「鏡」としてのバウハウスはまだ十分に磨かれていません。

 バウハウスの脱神話化によって、西洋近代の合理的な「神」としてのバウハウス理解は、その認識を改めなければならないことを迫られます。芸術運動体としてのバウハウスにおいては「建築への意志」として捉えられる「構築性」と同時に、「泉への回帰」としての「生成」の場に立ち会うという運動原理がみられます。さらに、この運動体は、あらゆるものをやたらに破壊していくというものではなく、状況に応じた「調和」を求めていくというものでした。また、錯綜体としてのバウハウスは、一つの統合された機関であるとしても、その内部には様々な多様性を潜ませています。この隠蔽されがちな多様性を解放することも、脱神話化の試みとして有効であり、今後、照射されることになるでしょう。